近頃、自分の顔を思い出せない時がある。
 鏡を覗いてそこに見える顔は、自分の顔のようで、しかし自分の顔ではない。
 それは、本来の顔と引き換えにマキシマが手に入れた、本当はこの世に存在していないはずの男の顔だった。
 そもそもマキシマという名前すら、マキシマのものではない。
 親友の命を奪った〈ネスツ〉に復讐するため、顔を捨て、過去を捨て、名前を捨て、〈ネスツ〉の懐へともぐり込んだ男が、鋼の肉体を手に入れた時にいっしょについてきた改造人間兵士としてのコードネーム――マキシマ。
 それは、彼を別人へと生まれ変わらせた科学者の名前であり、彼の命の源ともいえる心臓の名前でもあった。

 睡眠に入ってからきっかり4時間が経過し、メラトニンの分泌が停止すると同時に、脳内のアラームがマキシマに目醒めをうながす。
「……ふう」
 スクラップも間近いバンの車体を大きくきしませてシートから身を起こしたマキシマは、自己診断プログラムを走らせ、体内のシステムをチェックしていった。
「こいつはシャレにならんな……日に日に安定感が欠けていってやがる」
 マキシマの心臓――『マキシマリアクター』にトラブルが発見されてから、すでに27日が経過している。出力が落ちるというようなトラブルでなかったのは、果たして運がよかったのか悪かったのか――むしろ出力そのものは上昇傾向にあるのだということを喜ぶべきなのか。
「この調子でいくと、限界を超えるのはひと月後か、それとも1年後か――サンプルになるようなデータが何ひとつないってのは、この際、何の慰めにもならんな」
 これまでマキシマは、自分を改造した〈ネスツ〉との闘いの中で、設計段階でのスペックの限界を超えた能力を発揮し続けてきた。
 おそらくそのことが、リアクターへの必要以上の負担をしいることになったのだろう。マキシマの目に見えないところで生じた小さなほころびは、激しい闘いの日々の中で少しずつ大きくなり、マキシマがそれに気づいた時には、もはや彼の手に負えないものになっていた。
「――――」
 バンの外では、消えかけた小さな焚き火のそばで、ウィップとクーラが同じ毛布にくるまって眠っていた。
 ふたりともずいぶん無防備な寝顔を見せていたが、何かあればすぐにでも目を醒まして臨戦態勢に入れるだろうことは、マキシマにもよく判っている。ウィップもクーラも、闘うために造られた少女たちなのだから。
「K’」
 ひとり眠らずに起きていた青年に声をかける。K’は少女たちから少し離れたところにある無骨な岩に腰を降ろし、夜空を眺めていた。
「――おまえは寝てなくていいのか?」
「昼間あれだけ寝てりゃあ充分だ」
 やってきたマキシマを振り返ろうともせず、K’はぶっきらぼうに答えた。相変わらずの愛想のなさに、つい苦笑がもれる。
 何もない寒々とした荒野から見上げる星々の輝きは美しかったが、別にK’も、それに心を動かされているわけではないのだろう。何をするでもなく、ただぼーっとしていた――おそらくそんなところに違いない。
 マキシマはK’のかたわらに立ち、腕を組んで嘆息した。
「……降りるなら今のうちだぜ?」
「どういう意味だ?」
 白い前髪越しに、K’の視線がマキシマを捉える。
「俺のリアクターの制御回路がいつオシャカになるのか、それは俺にも判らん。だが、このまま闘い続ければ、いつかかならずオーバーロードを起こして吹っ飛んじまうのは確かだ。……いっしょにいたらおまえたちも巻き添えになるのは目に見えてる」
「うぜェな。吹っ飛ぶ前にケリをつけりゃいいだけだろうが」
「そのタイムリミットがいつになるか判らないから忠告してやってるんだよ。ひょっとしたら、5分後には――」
「うぜえっていってんだろうがよ」
 マキシマの言葉を不機嫌そうにさえぎったK’は、マキシマの脛を軽く蹴飛ばしてバンのほうに引き返していった。
「……周りの人間を巻き込みたくねえだと? そんな偽善者めいた戯言を吐くぐらいなら今すぐマリアナ海溝にでも身投げしやがれ。そうすりゃカナヅチのてめえなんざ跡形もなくブッ潰れて面倒がなくていいだろうが」
「やれやれ……」
 K’に蹴飛ばされた脛ではなく、がっしりとした顎を撫でながら、マキシマは“相棒”の後ろ姿を見送った。
「もう少しいたわりの言葉ってものが出てこないもんかね、ウチの不良息子は?」
 突き放すようなそっけないやり取りではあったが、あれはあれで、K’なりに精いっぱいに気を遣ってくれたのだろう。彼の不器用さは、マキシマもよく承知している。
「……まあ、ここでギブアップしちまうのは、確かに早すぎるかもな」
 ついつい野太い笑みがこぼれてくる。
「さて――」
 ふたたび夜空を見上げて静かに目を閉じると、マキシマの脳裏に、このへん一帯の鮮明な衛星写真が像を結んだ。
 あたりには道路が一本、荒野の中をひたすらまっすぐにつらぬいているだけで、ほかにランドマークとなるようなものは何もない。ここから一番近いガソリンスタンドですら、100キロ先の彼方にある。
「水と食料も調達できるといいんだが……ま、どうにかなるだろう」
 肩をすくめ、マキシマはきびすを返した。

 バンのところに戻ると、細く煙の立ち昇る焚き火をはさんでウィップたちの反対側に、K’が身体を丸めて横になっていた。
「睡眠は充分だっていってなかったか?」
 聞こえよがしに呟き、バンのボンネットを開ける。こっちもかなりガタが来ているが、マキシマの心臓と違って、まだまだ修理は可能だ。
 エンジンの修理のためにバンからを工具を出してきた時、バックミラーに映った自分の顔とふと目が合って、マキシマは思わず口にしていた。
「ま……これはこれで、いい男だよな」
「……おめでてえ野郎だぜ」
 寝返りを打ちざま、K’がそう毒づくのが聞こえた。