慈善家たちが集まったとある屋敷のガーデンパーティーの席で、セスはホスト役の老婦人に尋ねられた。
「あなた、お仕事は何をなさっていらっしゃるの?」
 少し考えて、セスは答えた。
「単純にいえば……まあ、正義の味方みたいなものですよ」
「まあ、それはそれは……」
 セスの言葉をジョークだと思ったのか、老婦人は丸っこい身体を揺らして笑った。
 確かにセスは、おおむね社会正義のためにはたらいている。今夜のパーティーに出席したのもそのためだ。
 この老婦人の夫には、東南アジアの武装集団と太いパイプを持つ麻薬密売組織の黒幕というもうひとつの顔がある。だが、おそらく妻は何も知らない。自分が慈善事業につぎ込んでいる夫の財産の大半が、ケシの花によって生み出されたものだと知っていたら、こんなに能天気にふるまってはいられないはずだ。
 老婦人と談笑するセスの薬指――そのリングに仕込まれた小型カメラの中には、彼女の夫を検挙するのに充分な証拠が納められている。セスがパーティーの賑々しさにまぎれて集めてきたこの証拠を当局に提出すれば、老婦人はやさしい夫を半永久的に失うことになるだろう。
 セスはこめかみを押さえて軽く首を振った。
「――ああ、どうやら飲みすぎたらしい」
 実際に痛むのは、頭ではなく胸だったが、老婦人はセスの嘘に気づかなかった。
「あら、それはいけませんわね」
「少し失礼して、酔い醒ましに夜風に当たってきてもよろしいでしょうか?」
「ええ、どうぞどうぞ。夜はまだ長いですものね」
「すぐに戻りますよ、マダム」
 おしゃべり好きで人を疑うということを知らない老婦人に一礼し、セスは人の輪を離れて暗い池のほとりへと足を向けた。
「冷たいお水はいかがです?」
 夜の池をじっと見つめていたセスのもとに、銀のトレイをかかえた長身のウェイターがやってきた。彼を振り返ったセスの目がすっと細くなる。
 次の瞬間、セスとウェイターは意味ありげにうなずき合った。
「ありがとう」
 よく冷えた水を一気に飲み干したセスは、左手のリングをはずして空のグラスの中に放り込み、それをトレイの上に返した。
「――それともうひとつ」
「何でしょう?」
「すまないが、私は具合が悪くなって先に帰ったと、マダムにそう伝えてもらえるかな? この非礼は後日お詫びすると申し添えてほしいんだが」
「うけたまわりました」
 深々と頭を下げるウェイターをそこに残し、セスは老婦人のパーティ会場をあとにした。
「これにて任務完了……か」
 今夜は政財界の賓客たちでにぎわっているこの庭も、おそらくあすの昼前には、いかつい顔をした捜査官たちによって埋め尽くされているに違いない。その中には、スーツに着替えてバッジをつけた今のウェイターも混じっているはずだ。
 そして、屋敷の中からガウン姿のまま連行されていく夫を見て、あのマダムは呆然と立ち尽くすのだろう。
「申し訳ありません、マダム。なにぶん、これも社会正義のためでして」
 窮屈なアスコットタイをはずし、脱いだタキシードを肩にかけたセスは、飾り門を振り返って少し哀しげにうそぶいた。

 セスがサウスタウンの有力なボスのひとり、フェイトと接触したのは、新興組織〈メフィストフェレス〉のさらに上に存在する巨大組織、〈アデス〉に迫るためだった。
 別に契約を交わしたわけではないが、それは一種の取り引きといっていい。
 フェイトは自分たちの力では知りえない〈メフィストフェレス〉の情報をセスから受け取り、セスはフェイトたちに〈メフィストフェレス〉を揺さぶってもらう。
 フェイトたちの目的は、〈メフィストフェレス〉とそのボス、デュークをサウスタウンから排除することにあり、一方のセスの目的は、〈メフィストフェレス〉を壊滅に追い込んで上部組織の〈アデス〉を引きずり出すことにあった。
 セスとフェイトはたがいに利用し利用されるドライな関係であって、少なくとも、それは途中まではうまくいっていた。
 誤算だったのは、セスが核心に触れる前に、フェイトが暗殺されてしまったことだった。

 パーティのあと、夜風に吹かれながらオフィスまで歩いて帰ってきたセスは、ガラステーブルの上に置かれた白い招待状を見て深い溜息をついた。
 死神の鎌と猛禽の翼をあしらった紋章が、ふたたび開催されるというキング・オブ・ファイターズにセスをいざなっていた。
 今大会にも、やはり〈アデス〉の影がちらついている。今度こそその尻尾を掴むべく、セスも参戦を決意していた。
 だが、前回と同じように、あの双子も参戦してくるだろう。
 フェイトを父親代わりとしてサウスタウンで育った、アルバ・メイラとソワレ・メイラ。
 タキシードを放り出し、セスはソファに寝転んだ。
「任務に私情をさしはさまないのがプロってもんだが……」
 だからといって、仇を見るような彼らのまなざしに慣れるわけでもない。
 セスが任務のためにフェイトを利用するだけ利用して、ついには見殺しにした――アルバたちはそう考えている。
 もちろん事実は違うが、その理屈を理解し、受け入れてもらうには、彼らはまだ若すぎるのかもしれない。
「……フェイトを死なせちまったぶんだけ、永遠に俺の借りのほうが大きい、か……」
 テーブルの上にあったバーボンの瓶を手に取り、ストレートのままひと口あおってアルコール臭い溜息をもうひとつ。
 セスは暗い天井を見上げてひとりごちた。
 あの双子にどうやってこの借りを返せばいいか、セスにはまだ判らなかった。

 任務のために何かを犠牲にすること自体は、セスも初めて経験することではない。
 しかし、だからといって、その後味の悪さに慣れるわけでもない。
 ましてや犠牲になったのが人の命となればなおさらだった。
 ひとつの命を犠牲にすることで、より多くの命が救われた。だから、その犠牲は決して無駄ではない――などという詭弁は、身内を犠牲にされた者には通用しない。