【喧嘩百段! これがナニワの男意気じゃィ!】

 某ゲームメーカーのお膝元である大阪府は吹田市豊津町、市営地下鉄御堂筋線の江坂駅から、20分ほど電車に揺られるとなんば駅に到着する。
 そこから徒歩で数分行ったところに、おそらく日本でもっとも有名な大阪的夜景で知られる場所――道頓堀に架かる戎橋がある。

 道頓堀の水質は決してよくはない。
 綺麗か? という問いにイエスかノーで答えるとすれば、当然ノーである。はっきりいって汚い。昔よりはるかにマシになったといわれているが、それでもまだ人が泳げるほど綺麗ではない。
 しばしば――何かビッグなスポーツイベントで異様に盛り上がった時などには――戎橋からだぱんだぱんと道頓堀に飛び込む勇者たちが現れることもあるが、ならば彼らに「ふだんから道頓堀で泳ぐ気があるか?」と尋ねれば、おそらく二の足を踏むに違いない。
 いかに大阪の夏がひつこいくらいに暑かったとしても、だ。

 

 夏、某月某日。
 そんな道頓堀から、ざぶりざぶりと上がってきた――飛び込んだのではなく、逆に水の中から上がってきた――ひとりの男がいた。
 身の丈は6尺3寸、みっちりと筋肉に覆われた身体にフンドシひとつという破廉恥きわまりないスタイルのその男は、ひとまとめにした荷物を頭の上に載せたまま、川岸の遊歩道へと這い上がってきた。
 時刻は昼前――。
 とはいえ、ひっかけ橋との異名を持つ出会いのメッカ、ここは大阪戎橋。すでに充分すぎるほどの人出であった。
 ほとんど全裸の肉体からぽたぽたとしずくを垂らし、ついでに下駄をからころ鳴らして――この男は下駄をはいたまま道頓堀を泳いでいたのである――戎橋に登場した彼を見て、その場に居合わせた誰もが目を剥いた。
 裸でここから飛び込むお調子者はいても、裸でここから上がってくる奴などいるわけがない――そんな固定観念に凝り固まった常識人たちが唖然としているのをよそに、その男はひとつ大きくくしゃみをすると、ずずっと鼻をすすってあたりを見回した。
「おうおう、何や昔と変わっとる気もするが、今度こそ間違いなく大阪じゃァ! あちこち遠回りするハメになっとったが、ようやっと日本に着いたわ! えろぅ懐かしいのう!」
 ひとり言にしては声がでかい。きっとこの男は生まれつき声がでかいのだ。おそらくそこにいた誰もが同じことを思っただろうが、本人はそれにまったく気づいている様子がなかった。

 傍若無人、ただひたすらに我が道を行くその男の名を、溝口誠、という。

 

 高く昇った真夏の陽射しが、戎橋の欄干の上に仁王立ちする溝口に燦々と降りそそいでいる。
 どうやら溝口は、濡れた身体をああして乾かしているらしい。当然のように、いまだにフンドシ一丁である。そのフンドシを締めた尻を、ご通行中のみなさんのほうに向けているのである。
 常識的に考えて、ふつうはこんな男のそばには誰も近寄りたいとは思うまい。橋の上を行き交う人々は、あえて溝口と視線を合わせることもなく、彼が立っている手摺からかなり離れたところを足早に通りすぎていく。中には溝口の影を踏むことさえ露骨に嫌がる女の子もいる。
 ノリがいいといわれる大阪人でさえコレである。
 おかげで戎橋の上は、期せずして片側通行となってしまっていた。

「さて――」
 すぱーん!
 これまた大きな呟きと、それに続く乾いた音に、周囲の人々がびくっと肩を震わせて溝口に注目した。見てはいけないと思いつつも、何かあるとついつい目が行ってしまうのは、やはり怖いもの見たさということであろうか。
 サラシの巻かれた自分の腹を平手で叩き、溝口は欄干の上から飛び降りた。
「まずはどこぞで腹ごしらえといくかのう」
 とか何とかいいながら、溝口は頭の上に載せていた荷をほどいた。
 一応は防水のことも考えていたのか、風呂敷とビニールとで厳重に包まれていたのは、時代遅れもはなはだしい黒の学ランだった。もっとも、この眉毛の太い大男には、そうしたバンカラ風のスタイルがよく似合っているといえなくもない。
「それにしても早いもんじゃのう。あのグレートグラップルの激闘からもうひと月か……なんや10年くらいたってしもた気もせんでもないが、どっちにしろ、こうしてまた大阪の土を踏めたんは、まるで夢のようじゃわい」
 はなはだ説明的なセリフである。
 溝口は年季の入ったドカンをはいて額に白い鉢巻を巻くと、学ランをマントのように肩にかけ、ポケットに手を突っ込んで歩き出した。
 溝口誠、すでに30になろうかという年である。この場に彼の実年齢を知る者などいはしないだろうが、すでにその見た目からして高校生ではありえない。
 しかしそれでも、フンドシ&下駄オンリーの半裸でうろつかれるよりは30男の学生服のほうがはるかにマシだと思ったのか、周囲の人間ははからずもみんな揃ってほっと安堵の吐息をもらしていた。
 もちろん溝口は、公序良俗の存在に思いを馳せる人々の気持ちにもまったく気づいていない。

 戎橋を心斎橋方面に渡り、道頓堀に沿って宗右衛門町通りをぶらぶらとそぞろ歩く溝口。ついつい口ずさんでしまうのは、お気に入りの『浪花恋しぐれ』のフレーズである。
 本人も知らないまま道行く人々を威嚇しながら歩いているうちに、わずかに湿っていたドカンと学ランもほどなく乾いてきた。
「……何や知らんが、たったひと月でこないに変わるもんかのう」
 自分の記憶の中にある街並みと今の街並みとのギャップに、溝口は首をかしげている。
 そんな老けた高校生の視線が、ふと巨大なタコにそそがれた。
「――おう、ここは昔のまんまじゃ! ワシの留守中にまた盗まれとったらどないしょかと思とったが、無事で何よりじゃわい!」
“浪花一番”という名のそのタコヤキ屋は、溝口がたびたび顔を出す馴染みの店であった。この店の名物ともいえる巨大なタコのハリボテをめぐっては、溝口誠の波乱万丈な闘いの歴史があるのだが、それを語り出すとゲームが1本できてしまいそうな量になるため、ここでは触れない。
 開店時間を前にして、店先ではねじり鉢巻のオヤジが路上を掃き清めていた。
「――よう、オッチャン! 元気にしとったか?」
「まっ、マコト!? 誠やないか!」
 はっと顔を上げたオヤジは、そこに立っているのが溝口だと知ると、箒とちりとりを放り出して駆け寄った。
「自分、今までドコでナニしとったんじゃ!? みんな心配しとったんやで!?」
「ドコでもナニも、いつものアレじゃ。武者修行ちゅーたら口はばったいが、ま、そんなモンじゃ。世界中飛び回っとったんやで」
 がっはっはと豪快に笑い、溝口はオヤジの肩を叩いた。
 世界中を飛び回るのはいいが、どこをどうすると道頓堀を泳いで大阪に上陸するような事態になるのだろうか。ひょっとするとこの男は、どこからか泳いで日本まで戻ってきたのだろうか。この男なら、あながちそれもありえないことではないのかもしれない。
「――そういうオッチャンは、ちょっと見ィひんウチに老けたんとちゃうか? 人間、年を取ると涙もろぅなるっちゅーで?」
「あっ、アホ抜かせ!」
 オヤジは鼻をすすって笑顔を見せると、自分よりはるかに上背のある溝口の脇腹にショートフックを叩き込んだ。
「ぐふっ」
 若い頃は相当やんちゃだったというオヤジの拳は、現役をしりぞいた今でもなかなかどうして、身体の芯にずしりと来る。溝口はその重みに苦笑しながら、自分がふるさとへ帰ってきたのだという思いをあらためて噛み締めていた。

 

 溝口誠の主食はタコヤキである。
 そう断言してしまうと語弊があるかもしれないが、そういいたくなるくらいに溝口はタコヤキが好きだった。おそらく溝口に聞いても、「まあ、当たらずといえども遠からず、っちゅうヤツやな。うぁーっはっはっはっ!」と呵々大笑するに違いない。
「――ワシも日本全国のタコヤキを食うてきたけど、やっぱオッチャンのタコヤキがイチバンやな! コレ食わんと大阪に帰ってきた気がせぇへんわ! 浪花で一番やのうて日本で一番やで、ホンマ!」
 大阪を離れていた間、まったく口にすることのできなかった“浪花一番”のタコヤキをうまそうに食べる溝口。
 がつがつはふはふがつがつはふはふ。
「おいおい、そないにがっつかんと、少しは落ち着いて食うたらどうや、誠。誰も横取りなんぞせぇへんて」
 鉄板の向こうで熟練の技を振るうオヤジも、溝口の食べっぷりに苦笑している。いまだに高校生をやっていて定職のない溝口は、ツケでタコヤキを食うような、正直いってまともな客とも呼べない常連だったが、おそらくこのオヤジにとっての溝口は、年の離れた弟か息子のような存在なのかもしれない。
「ワシのタコヤキを横取りするような根性の据わったヤツがおるなら会うてみたいもんじゃ」
 確かに、溝口が食べているタコヤキを横からかっさらうような命知らずがいるとは思えない。現に、いつもなら行列ができるほどの繁盛店である“浪花一番”の店先に、今は溝口以外に客の姿はない。ひっくり返したビールケースに座って大量のタコヤキを食べ続けている溝口を見て、道行く人々も呆気にとられている。
「――ふぅ」
 あるだけのタコヤキをあっという間にたいらげた溝口は、爪楊枝をくわえてひと息ついた。次のタコヤキが焼きあがるまでのインターバルの間に、ふとそこにあったスポーツ新聞を手に取る。
「そや、うっかり忘れとったが、今年のペナントレースはどないな展開になっとるんかのう?」
 お気に入りの某球団の戦績をチェックしようと新聞をめくった溝口は、しかし次の瞬間、爪楊枝を吐き捨てて目を見開いた。
「なっ……何じゃこりゃああぁぁあぁ〜ッ!?」
「ど、どないしたんや、誠!? いきなりそないな声出しよって――」
「こっ、これやこれ! コレ見てんか、オッチャン!」
「なになに……?」
 溝口がしめした紙面には、近く開催される世界最高峰の格闘技トーナメント、“キング・オブ・ファイターズ”の特集記事が掲載されていた。
「ああ……これならワシも聞いたことあるで。よう知らんけど、まあ、アレやろ、誠がこれまで出とったような、何でもありのケンカ大会ちゃうんか?」
「そないなことはどうでもええんじゃ! ワシが招待されとらん時点で二流以下の大会じゃっちゅうことは判っとる! そやのうて、ワシがいいたいんはコレじゃ、コレ! ここ見たってくれ!」
 そういって溝口が指差したのは、大会への参戦が決定している有名選手を紹介する記事だった。大会前の集中連載記事で、今回クローズアップされているのは、アメリカから参戦してきた極限流空手家、リョウ・サカザキである。
 前回大会でのその闘いぶりを伝える写真を睨みつけ、溝口は青ノリの張りついた歯を剥き出しにしてわめいた。
「コイツや! このアメリカ人の空手家、ワシのパチモンやで!」
「……どこがや?」
「どこがも何も、何から何まで丸パクリやろ! 飛び道具に対空技、突進技までワシそっくりやないかい! オッチャンの目ェはフシ穴かいな!」
「飛び道具だの対空技だの、そないなこといわれてもなあ……ワシには格闘技のことはよう判らんわ」
「オッチャン!」
「いや、誠がそういうんやったらそうなんやろ。……けどまあ、それもこれも、誠の強さがホンモノやっちゅうコトとちゃうんか?」
「ワシの強さがホンモノ……?」
「そや」
 流れるような串さばきでタコヤキをひっくり返しながら、オヤジはしたり顔でうなずいた。
「ハイカラな言葉でいえばフォロワーっちゅうか……要するに、誠のマネをするヤツのこっちゃけどな、海の向こうでそないなヤツが現れたっちゅうことは、誠の強さがそれだけグローバルに知れ渡っとるゆうことや。そやろ? 誰も弱いヤツのマネなんぞせぇへんのやし、つまりは誠の強さが広く認められとるっちゅう証拠やろが」
「まあ……そういうことに、なるんかな……」
 一時は顔を真っ赤にしてエキサイトしていた溝口も、さとすようなオヤジの言葉を聞いて、いつの間にか落ち着きを取り戻している。
 その目の前にお持ち帰り用のタコヤキのパックを山のように積み上げ、オヤジはにやりと笑った。
「持ってけ、誠」
「は……?」
「マネするヤツがおることは、それはそれでええやろ。……けど、どっちがホンマモンか、はっきりさせとかなアカンのとちゃうか?」
「お、オッチャン……!」
 オヤジのいわんとするところを察した溝口は、額のハチマキを締め直し、大量のタコヤキを小脇にかかえた。
「――恩に着るで、オッチャン!」
「おう」
「次に来る時は優勝賞金でこれまでのツケみぃんな清算したるわ!」
 威勢のいい勝利宣言とともに、溝口は下駄を鳴らして駆け出した。
 食べたばかりのタコヤキが、溝口の腹の底でマグマのような熱いうねりを生み、エネルギーとなって全身を駆けめぐる。
 グレートグラップル――。
 全地球爆拳闘大会――。
 これまで溝口がくぐり抜けてきた激しい闘いを前にした時と同じか、あるいはそれ以上の興奮が、知らず知らずのうちに不敵な笑みとなって顔に表れていた。
「KOFがナンボのもんじゃい! 二流半のエセ格闘家どもに、このワシが漢の生きざま見せたるわ!」
 まだ大阪に戻ってきて2時間もたっていなかったが、すでに溝口の心は完全に世界に向いていた。

「相変わらずっちゅーか……ま、アイツらしいわ」
 唐突に現れ、そしてまた唐突に去っていった溝口を見送ったオヤジは、スポーツ紙を手に取り、少しだけ眉を曇らせた。
「せやけどこれ、出場すんのに招待状がいるんとちゃうんかな……?」
 ついさっきまでKOFの存在すら知らなかった溝口のもとに、KOFの招待状が届いているとは思えない。
 招待状がないのにどうやって参戦するのだろうかと、オヤジは次のタコヤキの仕込みをしながら首をかしげた。

 

 1週間後、アメリカ某所。
 うらぶれたダウンタウンの裏路地に、上背が2メートルもある格闘家と対峙する溝口の姿があった。
「かかったな! ヘルバウッ――」
「じゃかァしい!」
 格闘家が何か仕掛けようとして動いた瞬間――いや、それより一瞬早く、溝口は彼の懐深くへと踏み込んでいた。
「――見さらせ! コレが元祖・通天砕じゃあァ!」
「なっ!?」
 格闘家のマコトおちへとめり込む溝口の肘。そして、続けざまに繰り出された豪快なアッパーによって、格闘家の身体は天高くへと舞い上げられた。
「ぐはっ!」
 充分な滞空時間のあと、満足に受身も取れずに地面へ叩きつけられた格闘家は、息が詰まるような呻き声をひとつもらしたきり、ぴくりとも動かなくなった。どう見ても失神KO、骨の2、3本は折れたかもしれない。運がよくて全治4週間、あるいはそれ以上か。
「タッパが高いばっかで見掛け倒しなやっちゃのう」
 指をボキボキと鳴らし、溝口は鼻を鳴らした。
「――歯応えがなさすぎてつまらんわ。こっちはまだウォームアップもすんどらんちゅーに」
 傲慢に吐き捨てた溝口の足元に、格闘家が使っていたバスケットボールが転がってくる。この格闘家は、実戦空手とバスケットボールを組み合わせた、ある意味新しい格闘技の使い手だったが、すべてを叩き潰すかのような溝口の拳の前にはまったく通用しなかった。
「だいたい、こないなモン使っとる時点で男として負けやぞ? 男だったら拳ひとつで勝負せんかい、このイチビリが!」
 下駄履きの足で無造作に踏みつけ、バスケットボールを難なく破裂させた溝口は、今になって思い出したように格闘家のそばにしゃがみ込むと、ダウンジャケットの懐をがさごそとあさり始めた。
「そや、肝心なこと忘れるとこやったわ」

 キング・オブ・ファイターズとは、特に選ばれた格闘家たちだけが出場できるトーナメントである。特に今回の大会は一般予選がおこなわれないため、主催者側からの招待状を持つ格闘家だけしか参加することができない。
 溝口がそのレギュレーションを知ったのは、大阪を離れてアメリカにたどり着いたあとのことだった。
 溝口が真っ先にアメリカへ向かったことに、特に意味はない。「とりあえずアメリカに行きゃあ何とかなるやろ」と、勝手にそう思い込んだ末の行動である。ついでにいうなら、溝口が「こいつワシのパチモンや!」と信じて疑わない極限流空手のリョウ・サカザキがいるというのも、真っ先にアメリカに向かった理由のひとつだった。
 ちなみに、溝口はアメリカまではふつうの旅客機を使ってやってきた。といっても、きちんと乗客として乗ってきたわけではなく、離着陸用のタイヤの格納庫に隠れてタダ乗りしてきたのである。金のない溝口が、武者修行の途次で出会った謎の覆面男から教えられた、非常に高度で経済的な――ついでに寒さに耐える修行にもなる――移動テクニックのひとつだった。
 とまあ、それはともかく。
 アメリカへとやってきた溝口は、KOFが開催される会場を捜しているうちに、招待状がなければ参戦できないということを知ったのである。せっかくアメリカまで来たというのに、このままではリョウをシバキ倒すどころか、KOFに出場することさえできない。
 そこで溝口は考えた。
「細かいことはよう判らんが、腕っ節の強そうなヤツに片っ端からケンカ売っとれば、いつかは招待状を持っとる格闘家に当たるやろ。そいつをブチのめして巻き上げればエエんちゃうかな」
 すこぶる単純かつ暴力的だが、溝口が招待状を手に入れるには、これくらいしか手段がないのも事実だった。高校を留年し続けはや10年あまり、溝口は決して頭はよくないが、これも年の功というのか、それなりに知恵が回るというか、悪知恵がはたらく。
 だから溝口は、迷わずその考えを実行に移した。

 溝口によってKOされた格闘家は、きょう3人目の“獲物”だった。溝口が渡米してきてからのトータルでは、もはや何人目かも判らない。なかなか招待状を持った格闘家はいないものである。
「これまでのヘタレとくらべりゃ、コイツはまだマシなほうじゃったが……」
 一縷の望みを懸け、意識のない格闘家のダウンジャケットの懐を探る溝口。
 と、内ポケットの中から1通の白い封筒を引きずり出した溝口は、太い眉をうごめかせて喝采をあげた。
「おおおおお! ひょっ、ひょっとしてコレとちゃうか? コレ!」
 交差する2本の鎌に猛禽の翼をあしらった不吉なデザインの赤い封蝋が目を惹く封筒を開き、溝口はいそいそと中身を確認した。
「え〜、う〜……ざ、きん、きんぐ、おふ……?」
 高校に10年も在籍し、武者修行のために世界各地を飛び回ってきたとはいえ、溝口の英語力は中学生レベルにも満たない。当然、そこに記されていた英文も読めなかった。
 だが、文中からかろうじて自分に判る単語だけを拾い読みし、脳内で適当に足りない部分を補完し、しかるのちに関西弁に変換した結果、溝口は、これこそが自分の求めていたKOFの招待状だということを確信した。
 腹に巻いたサラシの内側に招待状をしまい込み、溝口は格闘家の耳もとでささやいた。
「――ほな、コイツはワシが有効活用したるさかい、ワレはここでゆっくり休んどったらエエわ。まァ、ワレが出場するよりワシが出たほうが、大会のグレードも上がって観客も喜ぶっちゅうもんや! ぐぁーっはっはっは!」
 ドカンのポケットに手を突っ込み、下駄を鳴らして意気揚々と路地をあとにする溝口。追い剥ぎまがいの真似をしたことについては、コレっぽっちも良心の呵責を感じているそぶりがなかった。それどころか、すでに溝口の脳裏からは、ほんの数分前に倒した格闘家の顔も消えかかっているに違いない。

 要するに溝口誠というのは、身勝手で不器用で口が悪くて物覚えもあまりよくない――しかし、間違いなく強い男だった。