毒々しいネオンサインの光が射し込む、薄汚れたホテルの一室で、男はベッドの上に両足を放り出し、壁にもたれていた。
 窓辺には、吸殻でいっぱいになったギネスビールの空き缶と、すでに中身のなくなったゴロワーズの空き箱が並んでいる。
 その向こうでは、場末のナイトクラブの看板が、かすかな音を立てて明滅を繰り返していた。
「――――」
 ドアにかけられたボードに、硬い音を立ててダーツが突き刺さった。
 単純に考えれば、床の上に転がった空き缶の数だけ、男の胃袋の中にはアルコールが流し込まれたことになる。
 だが、ダーツを持つ男の手には微塵の震えもない。ボードを見つめるまなざしにも酔いの影はなく、いっそ空恐ろしいほどに冷徹だった。
「オレは、認めねえ――」
 男が呟き、また1本、ボードの中央にダーツが突き立った。
 ベッドサイドのテーブルの上には、3つにたたんだ三節棍が、ユニオンジャック柄のバンダナに巻かれて置いてある。
 見る者が見れば、そのアイテムひとつだけで、この安い部屋に逗留している男の正体を察しただろう。
 ダーツをすべて投げ終えた男は、短めに刈り揃えられた金髪をバンダナで包み、三節棍を革ジャンの懐に忍ばせて部屋を出た。
「てめえらみんな、目障りなんだよ――」
 男が立ち去った部屋には、サウスタウンでのギャング同士の抗争の沈静化を報じる新聞記事が、ズタズタに切り裂かれた状態で散乱していた。

 ギース・ハワードの名が刻まれた墓碑に、静かに雨が降りそそぐ。
 花を手向けるでもなく、じっと無人の墓地に立ち尽くしていたビリー・カーンは、目の前の墓から背後の遠景に視線を移した。
 灰色にけぶった雨のビジネス街のさらに向こうに、ひときわ背の高いビルが超然とたたずんでいる。
 ギースタワー――廃墟と化してもなお、いまだにこの街でもっとも巨大な建築物としてあり続けるそのビルを、人々はそう呼んでいる。
 だが、人々の記憶は確実に風化し、過去の上には新しい日々が次々に積み重ねられていく。
 そんな人の性を、ビリーは憎んだ。
「……オレは絶対に認めねえ」
 呪文のように繰り返し、ビリーはこの街で天にもっとも近い場所へと向かった。

 ギースタワー最上階――巨大な仁王像が見守る板張りのフロアは、ギースが道楽のためにあつらえさせた闘いの舞台だ。
 そして、同時にそこは、ギースがおのれの人生にみずから幕を引いた場所でもある。
 雨のそぼ降る中、ギースの野望の終焉の地を訪れたビリーは、ガラスの抜けた窓から灰色の下界を睥睨した。
「――てめえら全員がギース・ハワードって人間のことを忘れたとしても、オレだけは絶対に忘れねえ……」
 風とともに吹き込む雨に目を細め、ビリーは怨嗟の声をもらした。
「じきにてめえらにも思い出させてやるぜ。――この街が、本当は誰のものかってことをよ」
 そんな自分の呟きに、ビリーはふと苦笑して振り返った。
「――まあ、オレがそんな殊勝なことをいったって、あんたは冷たく笑うだけでしょうがね」
 誰もいない荒れ果てた舞台に、ギース・ハワードという一代の梟雄の幻影が立ち尽くしている。
「オレは……今もあんたの背中を見つめ続けているのかもしれねえ」
 ビリーはバンダナをはずしてポケットに押し込んだ。
「――だが、その生き方を後悔しちゃいませんぜ。オレはオレのやりたいようにやらせてもらうだけです」

 土砂降りの雨の中、野良犬が徘徊するのにふさわしい裏路地の水溜まりを踏んで、ビリーはその男と対峙した。
「……あのおかたがこの街からいなくなったってのに、どうしててめえはそうやってのうのうと生きてやがる? てめえ……テリーよォ!」
 肩に担いでいた朱塗りの棍を持ち替え、すばやく繰り出す。
 かろうじてそれをかわしたテリーを見据え、ビリーは舌打ちした。
「ここはな……てめえらが我が物顔でうろついてていい場所じゃねェんだよ!」
「ビリー……おまえはまだ、ギースの亡霊に取り憑かれているのか……?」
 抜き身の刃物のようなまなざしにひるむことなく、テリー・ボガードは痛ましげにかぶりを振った。その哀れむような表情が、ビリーの憎悪を加速させる。
「うるせえ! てめえがあのおかたの名前を軽々しく口にすんじゃねえ!」
 1本の棒と化した三節棍でテリーの足の甲を突く。テリーはそれもたくみにかわしていたが、ビリーの動きは途切れなかった。
「いゃっは〜ッ!」
 地面にめり込んだ棍の先端を支点として、棒高跳びの要領で地を蹴り、一気に間合いを詰めながら体重を乗せた蹴りをテリーに浴びせかける。
「ぐっ――」
「テリー!」
 間髪入れずに攻めかかろうとしたビリーの前に立ちはだかるように、ロックが両者の間に割って入ってきた。
「らしくないぜ、テリー! どうして本気で闘わない?」
 テリーを背後にかばい、ロックはビリーを見据えて身構えた。
「あのガキがずいぶんとデカくなったもんだ……」
 淡々と呟き、ビリーは三節棍を構え直した。
「――見せてみろよ」
「何?」
「てめえが本当にあのおかたの血を受け継いでる人間かどうか、俺に見せてみろっつってんだよ、ロック・ハワード!」
 その刹那、ロックの赤い瞳が燃え上がった。
「オレはっ……! あの男の息子なんかじゃないっ!」
 青白く輝く拳でビリーに打ちかかっていくロック。
 それを迎え撃つビリーの顔が、歓喜の笑みにゆがんでいた。