〈4〉
その瞬間、クラークは腰に吊るしていた手榴弾をはずして放り投げた。
そこにいったい何がいるのか、確認もせずに攻撃を仕掛けるのは、経験豊かなベテラン兵士らしからぬ軽率さだったかもしれないが、経験が豊かであるがゆえに、クラークは自分の直感にしたがったのだった。
こいつは、やばい——。
床の上でワンバウンドした手榴弾が、完全にハッチが開ききった穴の中に落ち、一拍置いて爆風と爆音が四方に——そしてそれ以上に天井に向かって——広がった。
「きゃっ!」
頭をかばうようにしてフィオがその場にうずくまる。
だが、クラークとレオナは、その爆風にまぎれて穴から飛び出してきた無数の影をはっきりと視認していた。
それは、有機的なフォルムの甲殻で全身を覆った、“虫”めいた人影だった。
きちきちきちきちきち——。
背中の翅を不気味に鳴らして奈落から現れた異形の“虫”は、緑色の大きな複眼でクラークたちを見据え、虚空を踏んで3人に襲いかかった。
「おいおい、俺たちの足止めにしては多すぎやしないか?——それとも、もっと大人数で踏み込んでくると予想してたのかい?」
ほとんど狙いをつけずに、クラークは右腕一本で構えたライフルのトリガーを引いた。フルオートで吐き出される弾丸が、跳躍した“虫”たちを薙ぎ払う。
「!?」
薄闇の中にマズルフラッシュがひらめき、数匹の“虫”がHK416のストッピングパワーによって床の上にはたき落とされたが、それでも彼らは死んでいなかった。彼らがまとう外骨格は、どうやらクラークが着用しているボディアーマーよりもよほど対弾性にすぐれているらしい。
「こいつは厄介な鎧だな」
のろのろと立ち上がってきた“虫”を見て、クラークはライフルをフィオに投げ渡した。
「シニョリーナ、得物を交換だ!」
「えっ!?」
「おまえさんが腰に下げてるそいつを寄越せ!」
「はっ、はいっ!」
熱を帯びたライフルを放り出し、フィオはクラークに手斧を手渡した。
敵拠点に隠密裏に潜入する作戦に、なぜ斧が必要だとフィオが判断したのかは判らないが、ライフルの殺傷力があてにならないと判った今では、むしろこの重みが頼もしい。
「——っと!」
鋭い爪がぎらつく貫手を斧の柄で受け止めたクラークは、逆に“虫”の腕を取って引き寄せ、その首筋に思い切り斧の一撃を叩き込んだ。
「こいつら——!?」
重々しい音を立てて崩れ落ちた“虫”の傷口から鮮血の代わりに噴き出したのは、どろりとした粘性の高い油だった。
人の姿をしてはいても、彼らは人ではなく、生物ですらなかった。
それは、人の姿を模した、文字通り機械仕掛けで動く奈落の“虫”たちだった。
「サイボーグのいる世の中だ、いまさら騒ぐようなことじゃないかもしれんが——」
相手の正体に少なからず驚いたものの、それでクラークの動きが止まることはない。未練がましく立ち上がろうとする“虫”の首を、100キロの体重をかけて無造作に踏み折ったクラークは、背後にフィオをかばいながら走り出した。
「シニョリーナ、緊急コードを発信しろ! 包囲作戦は中止だ!」
「りょっ、了解!」
作戦遂行に支障あり——その旨を伝えるシグナルを発信しながら、3人は侵入時に使用した資材搬入口へと急いだ。
だが、飛蝗を思わせる貪欲さで追いすがってくる“虫”たちを撃退しながらの退却戦は、想像以上に過酷だった。施設内を傷つけることなく侵入者を撃退するのが本来の役割だからか、火器らしい火器を装備していないのが唯一の救いだったが、常人をはるかにしのぐ運動性と鋭い爪をもって死を恐れることなく肉弾戦を挑んでくる“虫”たちの執拗さは、なまじの火器よりもよほど恐ろしい。
「……きりがないわ」
鋭く研ぎ澄まされた手刀とコンバットナイフとを駆使し、“虫”たちの外骨格の継ぎ目を狙って1体1体的確に破壊しながら、レオナがぼそりともらした。
彼女がこんなぼやきを口にするのは珍しい。それが今の状況を端的に表しているといってもいいだろう。
「——先に行け!」
クラークはフィオを搬入口のハッチのほうに押しやり、レオナとともに“虫”たちの群れと対峙した。
「中尉! レオナさん!」
「いいから行け! 俺たちもすぐに追いつく!」
「そっ、そうじゃなくて——」
肩越しにクラークが振り返ると、ハッチの脇のパネルを何度も叩きながら、フィオが絶望的な表情で泣いていた。
「——ハッチが開きません! もうこの区画にはエネルギーが来てないんです!」
「何!?」
フィオはぴたりと閉ざされたハッチのわずかな隙間に指先を引っかけ、顔を真っ赤にして力ずくでどうにか開けようとしていたが、彼女の細腕で何時間粘ったところで開きはしないだろう。かなりの厚みのある特殊合金製のハッチは、電源がなければただの壁も同然だ。たとえここにラルフがいて、クラークとふたりがかりでこじ開けようとしたとしても、おそらく結果は変わるまい。
「ちっ——」
まとわりついてくる“虫”の腕を掴んで関節をへし折り、クラークは残りの手榴弾に手を伸ばしかけた。
しかし、壁際まで追い詰められた今の状況で、ハッチだけを器用に爆破するのはまず不可能だ。どうやっても自分たちまで爆発に巻き込まれる。
「シニョリーナ!」
目の前の“虫”の頭部を斧で叩き割り、クラークは叫んだ。
「——電源があれば開くんだな!?」
「そ、それは——」
「開けられるんだな、おまえさんなら!」
「は、はい!」
鼻をすすってナイフを手にしたフィオは、開閉スイッチのついたパネルを器用にはずし、中から数本のコードを引っ張り出した。
「でも、このハッチを開けられるような電源なんてないです! 携帯端末のバッテリーなんかじゃぜんぜん足りません!」
「泣くな! 今用意してやる!」
クラークはみずから間合いを詰めて“虫”に掴みかかると、その首を小脇にかかえ込んで一気にひねった。ごきりとくぐもった音がして、“虫”の全身がぐたりと弛緩する。
その“死体”を刃の潰れかけた斧といっしょにフィオの目の前へと投げ出し、クラークはいった。
「ひゃっ」
「そいつを使え!」
「そっ……え、えええ!? こ、これを使えって——」
「そいつだってゼンマイで動いてるわけじゃない!」
こめかみのそばをかすめた“虫”の貫手に、クラークの青いキャップが飛ばされる。
だが、クラークはまばたきひとつせず、腰の後ろからコンバットナイフを引き抜き、“虫”の鎖骨に突き立てた。
「俺たちはこいつらを防ぐ! その間におまえさんはそいつのバッテリーでハッチを開ける! それぞれが自分のできることをやればいいだけだ!」
「そっ、そんなこといわれても……!」
クラークのネックロックで首がもげかけた“虫”は、ときおり手足の先を痙攣させながら、それでも何とか立ち上がろうとしている。それがロボットのたぐいだということは判っていても、人の姿をしているだけに、フィオには余計に不気味に思えて手が出せないのだろう。
しばらく“虫”の断末魔を見守っていたフィオは、ついに意を決したようにナイフを握り締めた。
「ごっ、ごめんなさいっ」
フィオはひとつ大きく身体を震わせたきり動かなくなった“虫”の背中に馬乗りになると、手斧とナイフを使ってその外骨格を引き剥がし、かすかな火花を散らすケーブルを引きずり出した。
この“虫”の心臓部がどういう構造になっているのかは不明だが、少なくとも、動力源としてはまだかろうじて活動している。フィオが“虫”の動力ケーブルとパネル部分から垂らしたコードとを接続すると、開くことをかたくなに拒んでいたハッチが、耳障りなきしみを上げて20センチほど開いた。
「中尉! あ、開くには開きましたけど、中途半端です!」
「上等だ!」
クラークはレオナの肩を叩いてハッチに向かった。
「…………」
レオナはナイフを放り出し、向かってくる“虫”たちに向かってカービンライフルの弾をばらまいた。
もちろん、これが殺虫剤たりえないことはレオナにもすでに判っている。ただ、レオナは、クラークが自分の肩を叩いた意味を正確に理解し、自分の役割を忠実にこなそうとしているだけだった。
フルオートでトリガーを引き続ければ、マガジンが空になるまでに3秒もかからない。レオナは自分のライフルが弾切れを起こしたのを知ると、落ちていたフィオのライフルを爪先に引っかけて手に取り、そしてそのマガジンも2秒と少しで空にした。
彼らが携行していた火器が単なる金属の塊になるまでわずか5秒——。
しかし、その5秒間、“虫”たちを寄せつけないようにするのが、レオナに託された任務だった。
その間にハッチに駆け寄ったクラークは、わずか20センチの隙間にたくましい肩を割り込ませ、渾身の力をこめてハッチを押し開いた。
「む……っ」
クラークの腕にみっしりと血管が浮き立ち、食いしばった歯の奥からうめきにも似た声がもれる。
きっかり5秒後、クラークは人がひとり通れるほどまで隙間を押し広げ、荒い息をついた。
「いいぞ! ふたりとも来い!」
「は、はいっ!」
まずフィオが這いずるようにして隙間から闇がわだかまる通路に逃げ込み、役に立たなくなったライフルを捨ててレオナがそれに続いた。
「——破滅主義はかまわんが、心中するなら身内だけでやってくれ。つき合わされるのはごめんだよ」
愛用のキャップを拾って一番最後に暗い通路へと転がり込んだクラークは、隙間に殺到してきた“虫”たちを振り返り、溜息混じりににやりと笑った。
「餞別だ」
なおも追いすがろうとする“虫”の顔面を蹴飛ばして隙間の向こうに押し戻し、クラークは手持ちの手榴弾のピンをすべて抜いて放り投げた。
数秒後、“虫”たちの股間の下を転がっていった手榴弾が、格納庫の内部で爆発した。 |