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上海。
午前7時。
すでに街頭は活気に満ち溢れ、露店や屋台から湯気と香りが立ちのぼっている。
空は充分明るいが、まだ太陽は昇りきっておらず、地面に近い市場の店々の間には、紺の影が色濃い。
雑踏の中にひとり、ひと際目立つ大柄な男がいた。
「ったく、アッシュの野郎。こんな朝っぱらから呼び出しやがって」
素肌の上からジャケットを羽織っただけのラフな格好だが、道を行く誰もがこの人間を知っていた。上海では「シェン・ウー」と呼ばれる男である。シェンは「神」であり、ウーは「武」を意味する。無論、本名ではない。
「アハハハ、いたいた。シェン、久しぶりだネ! でさ、おいしい蟹を食べさせてくれる店ってどこ? シェンなら知ってるでしょ?」
「アッシュ……朝っぱらからンなもん食ってんじゃねえよ」
「カタイことは言いっこなし。デュオロンが来る前に飲茶でもしようよ」
白金の髪をカチューシャでまとめた白人の若者が、アッシュ・クリムゾンだった。
白い肌に青い瞳。頬にはそばかすが残り、口の端は生意気そうに歪められている。
美男子かといえばそうではないが、人目を引く不思議な磁力を帯びているのは確かであった。細身だが、締まった体をしている。
「こんな朝早くから蟹なんざ……」
雑踏をかきわけ進んでいたアッシュは、ガラス張りの店内に、木箱に放り込まれた上海蟹が盛大にうごめいている店を見つけた。
「ほらほら、活きがよさそうだヨ。おごってよ、ねえ」
「誰がおごるかよ。バカも休み休み言いやがれ。そもそもお前、蟹なんざ食えるのか? ヨーロッパからの観光客は、結構敬遠しがちなんだぜ?」
「蟹は好きだよ。それに、ボクの話を聞いたら、おごりたくなると思うヨ?」
店のガラスに、アッシュのいたずらっぽい笑みが映っている。
「上海蟹を最初に食った野郎は最も勇敢な人間だ……とかなんとか、頭のいいなんたら言うヤツが言ってたぜ。それはそうとアッシュ。その肝心の話ってのは何だ?」
その時。磨き上げられたとはいい難いショーウィンドウのガラスに、もうひとり、長身の男の姿が映し出された。
「……」
アッシュとシェンのふたりは振り返らず、蟹の品定めを続けている風を装っている。
シェンは小さく舌打ちした。会話に気を取られていたとはいえ、こうもあっさり背後を取られるとは……。
「アハハ、デュオロン久しぶり。元気してた? ねえ、ここじゃなんだからさ、どこかでお茶でも飲みながら話しようよ」
「ここで、いい」
朝の新鮮な空気も、その男の周囲だけは冷たく沈みきっている。
建物の合間の青白い影の中から、豪華な刺繍の施された衣装をまとった長身の男が姿を現した。デュオロン(堕瓏)。まだ青年という年頃のはずだが、その実は中国奥地に存在する暗殺集団「飛賊」の一員であり、しかも高い身分の者らしい。
無口で、自然と人を圧する存在感があり、そして哀しい目をもっていた。
「じゃーん! なんとなんと、こんなものがボク宛に届いてました♪」
アッシュが取り出したのは、古風に蝋で封緘された封筒だった。
キング・オブ・ファイターズ。
世界最大規模の異種格闘技大会。
シェンもデュオロンも、それは承知している。
大会が3人1チームで行う団体戦であることも。
毎年何らかのトラブルが発生する、いわく因縁付きのイベントであることも。
「単刀直入に言うよ。ボクはこいつに参加するつもりなんだ。で、シェンとデュオロンにもそうして欲しいんだよね。どう? 一口乗ってくれない?」
「面白そうじゃねえか。よし、俺は乗ったぜ! KOFには一度参加してみてぇと思ってたんだ。強ぇヤツらがいるところなら大歓迎だぜ!!」
「さーっすがシェン♪ そうきてくれると嬉しいね。デュオロンは?」
「……よかろう」
「アハハハ♪ 決まりきまりー!」
「実はもう、この3人の名前で申し込みを済ませてるんだ♪ もし二人がボクの手伝いをしてくれないっていうなら、いろいろと大変だったよ」
「あんだぁ? もう申し込み済みだぁ? ……まぁいい。俺は意欲満々だからよ」
「……何を企んでいる? アッシュ」
「やだなぁデュオロン。大したことじゃないってば」
「俺が参加しないと言えば…… 貴様、どうするつもりだった?」
「……そうだねえ、どうしたかなあ?」
チェシャ猫のように笑いながら、アッシュは左手の指で招待状を挟み、弄んでいる。
格闘と結びつきそうにない、しなやかな指先。爪にはネイルアートが施されている。
その指で挟まれた招待状の四隅から、エメラルド色の炎が立ち昇った。
見る間に招待状全体が燃え上がり、しかしそれでも炎の勢いは弱まらず、アッシュの左手からは炎の柱が吹き上がった。
足元からはらせん状に風が巻き起こり、アッシュのプラチナ・ブロンドの髪を揺らし、炎をさらに高く激しく燃やす。彼は笑っていた。無邪気で気紛れな笑みの底に、得体の知れない何かが確かにうごめいている。通行人が数人、緑の火柱に気付いたが、あっけに取られて声もあげられない。
アッシュは左の手を大きく外に薙ぎ払った。
エメラルドの炎は手を離れた。緩弧を描いてシェンとデュオロンの間を瞬く間にすり抜け、近くを通っていた少女の顔面すれすれを通過し、そこで消えた。
少女の髪が風に揺れた。そのすぐ横から、つい1秒前まで蜂だった物体が力なく地面に落下し、白い灰となって、地面に指先ほどの小さな山を作った。
「あぶなかったね、お嬢さん。アハハハ♪」
「ど、どうも……あ、ありがとう」
「ジュヴザンプリ(どういたしまして)」
仰々しく時代がかったおじぎして、アッシュは答えた。
「遊びはそこまでだ。ただでさえ朝っぱらから呼び出されて調子狂ってるんだからよ」
「ボクは春の朝が好きなんだよ。『時は春、日は朝、朝は七時』って言うじゃない?」
「あんだぁ、そりゃ」
「フッ。育ちがフランスとは思えない趣味だな」
デュオロンがめずらしく苦笑している。雰囲気は深沈として大人びてはいるが、笑うと改めてその若さに気付かされる。
アッシュが続けた。
「神、そらに知ろしめす。すべて世は事も無し。
まぁそういうこと。気楽に行こうよ、気楽にさ。アハハハハ♪」
アッシュ・クリムゾン
デュオロン
シェン・ウー
彼らの参加がKOF運営機構に受理されたのは、この3日前のことであった。 |
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