オリジナルサイドストーリー CLOSE
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〈4〉

 いつしか風はやみ、赤黒く染まった雲はたゆたうようにゆるやかに、沈みゆく夕陽とは逆の方角へと流れていく。
「——ニーノーンーっ!」
 遠く響くその声に丘の麓を見下ろすと、城砦跡へ続く砂利の坂道を、姉のミニョンが駆けてくるところだった。
「ふふ……」
 ニノンは唇をわずかに吊り上げて冷たく笑った。
 今度の渡欧に合わせて新調した、ミニョンのサマードレスの裾が大きくひるがえっている。ひとつのことに意識が向くと、姉は、自分がいかにはしたない真似をしているかということさえ自覚できなくなる。
 そんな姉をニノンは笑ったのだった。
「……そんなに慌ててどうしたの、お姉ちゃん?」
「そっ、そんなに慌ててって——」
 ようやく丘の上まで駆け上がってきたミニョンは、膝に手を当てて身体をささえ、派手に肩を上下させながらいった。
「に、ニノンの姿が見えないから、ど、どこに行ったのかなって、ず〜っと心配して——それで、ようやくわたしの超魔術でここにいるって突き止めたから、その……」
「ホテルのベッドルームに書き置きを残しておいたの、読まなかったの?」
「……え? 書き置き——?」
「気がつかなかったみたいね。……相変わらずおっちょこちょいだし」
 冷然と鼻を鳴らし、ニノンはたった今ミニョンが駆けてきた道を下り始めた。
「ちょっ——」
「別にいいわよ、お姉ちゃんはそこでしばらく休んでても」
「そ、そういうわけにはいかないでしょ! もう日が暮れるっていうのに、ニノンみたいな女の子がひとりで帰るなんて——」
 そういって慌ててニノンを追いかけようとしたミニョンだったが、何を感じたのか、不意にその場に立ちすくみ、小鼻をひくつかせてあたりを見回した。
 ニノンは坂道の途中で姉を振り返った。
「……どうしたの、お姉ちゃん?」
「何だか……ここに、何かいなかった?」
「何かって?」
「う〜ん……うまく口では説明できないんだけどー、ん〜……とにかくヘンなものの気配をちらりと感じたような気がしたんだけど……」
「……何の訓練もしてないくせに、そういうのが判るところがやっぱり天然だし」
 ニノンは軽い苛立ちを交えて呟き、また歩き出した。
「あ! ちょ、ちょっと待ちなさい、ニノン! おねえちゃんといっしょに帰らなきゃダメっていったでしょ! 夜道は危険なんだから〜!」
 ふたたび恥じらいもなくドレスの裾をはためかせてニノンに追いついてきたミニョンは、妹の顔を覗き込み、あらためて尋ねた。
「——ところでニノン、あんなトコで何してたの?」
「別に。少し夢を見ていただけだし」
「夢? あんなトコでお昼寝してたの?」
「短絡的すぎるし」
「は?」
「いいから急いだほうがいいんじゃない? あしたはマルセイユ行きなんだし」
「ちょっとー! 今のどういう意味なの、ニノン!」
 勘がいいのか鈍いのか、今ひとつはっきりしない姉は、確かに、実力以上に未知数な部分が多くて、うかと目を離していられない存在なのかもしれない。

 あれこれやかましくわめく姉の声を心地よく聞き流し、ニノンはちらちらとまたたき始めた宵の明星を見上げて暗く微笑んだ。

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