〈2〉
久しぶりに馴染みの友人たちが集まるというので、舞は昼前から街へ買い出しに出かけた。
留守を任されたアンディは、舞が縫ってくれた片貝木綿の浴衣に袖を通し、庭を綺麗に掃き清めたあと、黒鞘の長脇差をひと振りたずさえて屋敷の裏の竹林に出た。
アスファルトに覆われた都会では、照りつける真夏の陽射しが耐えがたいほどだというが、山を少し登ったこのあたりでは、緑が多いせいか、さほどの暑さは感じない。まして、幾重にも重なり合う竹の葉がおだやかな影を落とす竹林の中には、夏とは思えない涼やかな風さえ吹いている。
かすかな緑に翳った竹林の中で、アンディは鞘を帯にねじ込み、脇差を抜いた。
そして一閃、また一閃——。
美しい刃紋が浮かんだ刃が日の光を跳ね返してきらめくたびに、ときおり舞い散る緑の竹の葉がふたつに割れて地に落ちる。
振り抜いた脇差の切っ先に揺れは微塵もない。青い瞳でまっすぐ前を見据えるそのたたずまいは、格闘家というより武士と呼ぶべきか。
その視線が、ふと横に流れた。
「ずいぶんと堂に入ってるみたいだが、そいつもお得意の精神修行のうちなのか?」
肉厚の革ジャンを肩に引っかけた金髪の男が、勾配のついた竹林の中をゆっくりと歩いてくる。
アンディは静かに脇差を鞘に納め、口もとにわずかにしわを寄せた。
「——それにしても、おまえがカタナを使うなんて今まで知らなかったぜ。ニンジャが使うのは手裏剣だとばっかり思ってたけどな」
「忍びの技はそれだけじゃない。武芸十八般、ひと通りはたしなむさ。……もっとも、人に教えられるほどではないが」
柄頭に左手を添え、アンディは兄に歩み寄った。
「——来るのは夜という話だったんじゃなかったのか?」
「ああ、ホントは空港の近くでジョーたちと合流してからこっちに来るつもりだったんだが、ま、ちょっとな……あっちはロックに任せた」
「無責任だな。あの子は兄貴よりも日本に不案内のはずだろう?」
「あの子なんていえるほどガキじゃないさ、もう」
「もう17……か」
「そうだ。あれからもう10年以上たってる」
あれから——というのがいつからのことをさしているのか、アンディにも何となく判った。
あれから——アンディ・ボガードとテリー・ボガードが勝負の場で向かい合わなくなってから、という意味だろう。
アンディは軽く嘆息し、兄の背を叩いて歩き出した。
「——こんなところで立ち話もないだろう。何か冷たいものでも用意するよ」
「そいつはありがたい。アジア圏の夏ってのは蒸し暑くてかなわないぜ」
大袈裟に肩をすくめる兄は、アンディには相変わらず大きく見えた。背丈はほとんど変わっていないはずだが、身体の厚みはやや増したように思える。
何より、その背中に軽く触れたアンディのてのひらには、しっかりと鍛え上げられた筋肉の感触が残っていた。
根なし草のような暮らしを続けていても、鍛錬は欠かしていない——。
それを思うと、アンディの表情も自然と引き締まった。
大きな池に面した不知火の屋敷の縁側に腰を降ろし、テリーは広い庭を見つめている。
Tシャツを内側から押し上げる上半身は、やはり以前よりも大きく感じる。後ろ手について身体をささえる両腕も、ちょっとした丸太のように太くたくましかった。
だが、どこかまだ子供のような悪戯っぽさを残した笑顔は、何年たっても変わっていない。
鹿威しの音を聞きながら、びっしりと汗をかいたグラスの麦茶を飲んでいる兄を見て、アンディは思わず噴きそうになった。
「何だよ? 俺の顔に何かついてるのか?」
「いや——つくづく似合わないと思っただけだよ」
「だから何が?」
「麦茶と水羊羹とテリー・ボガードという取り合わせがさ。兄貴は昔からジャンクフードが大好きだったろう? どうも私には、コーラ片手にハンバーガーにかじりつく姿しか思い出せなくてね」
「そうか? これはこれで嫌いじゃないけどな」
そういって、よく冷えた羊羹を切り分けもせずに口の中に放り込む。ぞんざいだが、テリーにはそういう食べ方がよく似合っていた。
「——ここ、けっこう広いよな」
「広すぎるよ」
「ここで舞とふたりで暮らしてるのか?」
「ふたりきりというわけじゃないけどね。離れには弟子たちも住んでいるよ」
「弟子、か……」
テリーは感慨深げに溜息をついた。
「どうしたんだ、兄貴?」
「いや——おまえもそんな年になっちまったんだなって思ってさ」
いつになく真面目な顔で呟くテリーを見て、アンディはつい苦笑した。
「笑うようなことじゃないだろ? だっておまえ、今はもうジョーにだって弟子がいるっていうんだぜ?」
「兄貴にもいるじゃないか」
「ロックのことをいってるのか?」
「ああ。私やジョーよりも先に、逸早く弟子を取ったのは兄貴だろう。いまさら何をいっているんだか——」
「ロックは別に俺の弟子じゃあない。俺もおまえも、自分がジェフの弟子だったなんて思ってないだろう?」
「だが、だからといって兄貴はロックの父親にはなれない。……違うかい?」
「そりゃまあ——」
「まあいいさ。ただ、自分は若いままで私だけが年を取ったようないい方はよしてくれ。確かに私は昔から老成しすぎていたかもしれないが、実年齢では兄貴よりひとつ若いんだ。永遠にね」
「といったって、まだ30なかばだ。弟子の指導に専念して表舞台から消えるには早すぎるんじゃないのか?」
いつかそんな話題を切り出してくるだろうという気はしていた。
アンディは空のグラスを置き、大きく深呼吸してテリーを見返した。