〈1〉
そのタブレットを噛み砕くと、何ともいえない苦味が口の中に広がった。
毎日1粒、1日も欠かさず飲み続けているのに、いつまでたってもこの味に慣れない。
それでもいいつけ通りこのタブレットを服用し続けているのは、もしかすると、軽く中毒になっているからかもしれない。
「たかが栄養剤なんだから、もっとおいしく作ることだってできるだろうにさ。マズいったらないね、まったく」
オペラ座のドーム状の屋根の上にしゃがみ込み、ナガセは憮然として石畳の広場を見下ろしている。
今夜の演目は『ドン・ジョヴァンニ』。
もっとも、それももう終演時間を迎え、オペラ座の前の広場は、満足しきった表情の観客たちと、彼らを迎えに来たクルマの群れでごったがえしていた。
次々と帰宅の途につく紳士淑女のざわめきをぼんやりと聞き流していたナガセは、広場へと現れた1台の高級車に目を留め、サングラスのフレームを指先で軽くタッチした。
かすかな電子音とともに、レンズ越しの視界が赤く染まる。
各種センサーを搭載し、超小型のディスプレイも兼ねているそのレンズ面には、黒いドレスの美女をピックアップしてオペラ座の正面を離れていくマイバッハのナンバー部分がクローズアップされていた。
「おーおー、さっすがお嬢サマ、いいクルマに乗ってるじゃん」
皮肉っぽく笑ったナガセは、耳からぶら下げた星のピアスをはじいて呟いた。
「——今そっちに向かったよ。真っ黒なマイバッハだから間違えないでね」
『了解しました』
陰気な男の声がナガセの呟きに応え、そのまま沈黙した。
「さーて……」
ナガセは傾斜のついた屋根に仰向けに寝転がった。両腕を枕に、星のまたたく夜空を見上げる。
「それじゃミスター・デュークのお手並み拝見といきますか」 |