オリジナルサイドストーリー CLOSE
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〈1〉

 ヘッドホンから流れてくるポップスをペースメーカー代わりに、毎朝5キロのロードワークをこなすのが、ユリ・サカザキの日課のひとつである。
 美容と健康のために身体を動かすのならフィットネスクラブでのバイトで充分だろうが、空手家としての鍛錬にはそれだけではとても足りない。そう思って始めたロードワークだが、父にいわせれば、これでもまだ足りないという。
 ユリがそれに反論しようとすると、父はすぐに自分の若い頃の話を持ち出してくるので、最近ではユリも、「はいはい」と適当にあしらって退散することにしている。

 要するに、父は年を取ったのだ。
 娘を相手にことあるごとに昔話をするようでは、そう思われても仕方がない。
 はっきりと本人がそう宣言したわけではなかったが、何となく第一線から身を引いたような形になっている父は、しかし、まだその力が衰えてきたようには思えない。少なくともユリの目には、タクマ・サカザキは昔と変わらない世界最強の父親である。
 ただ、性格は少し丸くなったのかもしれない。ミスター・カラテとして天狗の面をかぶっていた頃の父には、娘の自分でさえも触れることがためらわれるような、抜き身の刀を思わせる闘気、殺気ともいうべきものがあったが、今の父にはそれがない。
 だからといって父が弱くなったのかと聞かれれば、ユリは即座に首を横に振るだろう。いかに実戦から遠ざかっているとはいえ、父は同年代の人間とくらべればずば抜けて頑健な肉体の持ち主であり続けているし、そのためにユリ以上の鍛錬を欠かしていない。昔の闘いで負った古傷さえなかったら、今でもリョウをさしおいて第一線に立っていたはずだ。

 いずれにしても、父の変化はユリとしては喜ばしいことではある。もう50になろうかという父が、闘いばかりの空手ひとすじだった生き方から開放されたとしても、別に罰は当たらないだろう。極限流の看板はリョウが立派にささえてくれている。
「結局、わたしがいないとダメなんだから」
 ——そんな生意気なことをいうこともあるが、実際のところ、空手の実力にしても流派を盛り立てていくことにしても、自分は兄に遠くおよばないということをユリは承知している。それがほんの少し悔しくて、ユリはときどき父や兄を相手にそんなことをいってみたりもするのだが、そのたびに、自分が存外に極限流というものに対して強い思い入れを持っていることに気づかされるのだった。
 もっとも、ユリにしたところで、極限流総帥の座を兄と争うつもりなど毛頭なく、きっかけはどうあれ今は身体を動かすことが楽しくて続けている空手なのだから、ロードワークの量くらいでいちいち口をはさまないでほしい、というのが本音であった。

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