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〈7〉

 リョウがいずこかへと出かけてから小一時間ほどたった頃、ボディガードも連れずにたったひとりでロバートがやってきた。
「ロバートさん……!」
「久しぶりやな、ユリちゃん」
 ロバートとはひさびさの再会だったが、ユリはうまく笑えなかった。ロバートと再会できた喜びより不安のほうが大きい。リョウが残していった意味深な言葉が、ユリの心に重くのしかかっていたのである。
 ロバートもまた、ユリとの再会を大袈裟に喜ぶでもなく、すぐに表情を引き締め、
「お師匠さんは?」
「道場にいるけど……」
「リョウから聞いたんやけど、最近すごいんやて?」
「うん……」
「ほな、リョウの推測もあながち間違いやあれへんちゅうことか……」
「ねえロバートさん、いったいどういうことなの? おにいちゃん、どこに行ったの?」
「それはワイにも判らんけど……ユリちゃん、ちょい前に、ヘンな東洋人に会うたんやろ?」
「え? う、うん、確かに会ったけど……どうして知ってるの?」
「たぶん同一人物やと思うけどな……そのオッサン、チャイナタウンに現れたで」
 ロバートはユリにチャイナタウンでの一件を語って聞かせた。
「どっ、どうして!? あの人が、どうして——」
「ああ……ユリちゃんはじかに会ったことなかったんやな」
 居間へと案内されたロバートは、ユリが出してくれた緑茶をすすり、力なく笑った。
「——あのオッサン、藤堂竜白やで」
「と、藤堂って……え!? それってもしかして、香澄ちゃんのお父さんのこと!?」
「せや」
「だ、だって……ずっと行方不明だったんじゃないの?」
「リョウに負けてからな」
 ロバートは茶托に湯飲みを置き、いったん言葉を引き取った。
 沈黙が降りてきた居間に、道場のほうから父の気合の声が響いてくる。それをじっと聞いていたロバートは、テーブルの上に身を乗り出し、あらためて切り出した。
「リョウに負けたあと、藤堂のオッサンは家族にも何もいわんと姿をくらましとったんやろ?」
「香澄ちゃんからはそう聞いてるけど……」
「たぶんオッサンは、自分を鍛え直すために武者修行の旅に出とったんやろな。それも、生半可な修行とちゃう。げっそりとやつれて、一気に10歳も年を取ったようにみえるような、面相まで変わるほどの過酷な修行やったんやろ。チャイナタウンでオッサンを見た時、ワイもまさかと思たわ」
「そんな……どうしてそこまでする必要があるの?」
「そらアレや、お師匠さんとリョウに勝つためやろ」
 藤堂竜白は、若い頃にタクマ・サカザキと闘って敗れている。その当時、タクマはまだミスター・カラテの異名を持たず、極限流空手の名もほとんど世間には知られていなかった。戦国時代にその源流を持つ藤堂流古武術伝承者の竜白にとって、海のものとも山のものとも知れぬ一空手家に敗北した事実は、たとえようもない屈辱だったに違いない。
 だが、タクマへの雪辱を果たすことはかなわず、逆にタクマの息子リョウにまで敗北を喫した竜白は、おのれの弱さを呪ったに違いない。それが竜白を、身を削るほどのさらなる過酷な修行へと駆り立てたのだろう。
「それもこれも、極限流に勝つためや。自分を倒したリョウやお師匠さんに勝つためや」
「それじゃ、おとうさんが今になってあんな激しい稽古を始めたのって——」
「ひょっとしたら、お師匠さんはユリちゃんより先に、もう藤堂のオッサンと会うたんちゃうかな。チャイナタウンでのオッサンの口ぶりやと、少なくともオッサンは、お師匠さんが実戦から離れてかなりたっとることを知っとった。せやから、あえて闘わずに立ち去ったんやろな」
「おとうさんは……そのことに気づいてたのかな?」
「そのへんも聞いてみなよう判らんけど、たぶん、オッサンが自分の様子を見にきたことには気づいとったんちゃうか?」
 ユリとともに道場のあるほうを見やり、ロバートは立ち上がった。
「ロバートさん……?」
「実戦から離れとるんはワイもいっしょや。ひさびさに稽古つけてもらお思てな」
 スーツと靴下をその場で脱いだロバートは、シャツの袖をまくり、大股で道場へ向かった。心配そうな表情のユリも、小走りにそのあとを追いかける。
「ユリちゃんもリョウにいわれとるやろ、お師匠さんを家から出すなて?」
「う、うん。でも、どうして出しちゃいけないの?」
「天狗の面をかぶっとった頃ならともかく、もし今のお師匠さんがオッサンに闘いを挑んだら、どう贔屓目に見ても無事じゃすまされへんよってな」
「それって……おとうさんが、香澄ちゃんのお父さんと闘うかもしれないってこと?」
「お師匠さんが今になってあないにシャカリキになっとんのは、つまりはそういうことちゃうか? せやろ?」
「う、うん……」
 いわれてみれば確かにそうだった。ただ強さを維持するためだけなら、あそこまで過酷な鍛錬は必要ない。最近のタクマの鍛錬は、あれは明らかに、さらなる強さを欲している者のやりようである。一日でも早く、より強くなるために、肉体を徹底的に苛め抜くような、狂気すら感じさせるやりようである。
 板張りの廊下を歩いていたユリは、はっと目を丸くしてロバートを見上げた。
「もしかして、おにいちゃんが出かけたのって——」
「せや。……リョウは、お師匠さんの代わりにオッサンとの決着をつけにいったんや」
「そんな——」
 想像を絶する修行の果てにふたたびサウスタウンへと戻ってきた藤堂竜白に、今のタクマでは勝てるかどうか判らないとロバートはいった。ロバートだけでなく、チャイナタウンのリー・パイロンもまたそう評したという。
 その竜白と闘うためにリョウが出ていったのだと聞いて、ユリは全身の血の気が引いていくのを感じた。
「どうして!?」
 ユリは思わず声をうわずらせた。
「もう闘う必要はないって、そう思って引き下がってくれたんでしょう、香澄ちゃんのお父さんは!? だったらいいじゃない! おにいちゃんが闘う必要だってないはずでしょ!?」
「ま……ユリちゃんのその気持ちは判らんでもない。けど、リョウとしてはそういうワケにもいかんのやろ。なんせアイツは、お師匠さんのあとを継いで極限流の看板を背負ってかなアカン人間やし」
「どうしてよ!?」
「判ったってや、ユリちゃん。極限流の看板を受け継ぐゆうことは、お師匠さんの業も受け継がなアカンっちゅうことなんや。よくも悪くも、お師匠さんは業の深いお人やしな」
 瞳を潤ませてわめくユリをなだめるように、ロバートは彼女の頭をそっと撫でた。
「実際、藤堂のオッサンの闘いを見とったらよう判るわ。あのオッサンがあないになるには、それこそ今のお師匠さん以上の厳しい鍛錬を長いこと積んできとるはずなんや。家族のもとにも帰らんと、まっとうな生き方に背を向けて……人としてのふつうの生き方も何もかも捨てて一心不乱に修行に打ち込まんと、あそこまで強くはなれへんわ。……そして、オッサンをそこまで追い込んでもうたんは、お師匠さんとリョウなんや」
「————」
 卒然、ユリの脳裏に、かつて同じチームでKOFに出場したことのある藤堂香澄の姿がよみがえった。
 香澄は、リョウに敗れて以来行方不明となっている父をずっと捜していた。いつも気丈にふるまってはいたが、本当はさびしかったのだろうと思う。幼い頃に母を亡くし、父タクマまでがいなくなって、リョウとふたりきりで生きていくことを余儀なくされていたユリには、それが手に取るようによく判った。
 あの頃の自分と同じようなさみしさを押し隠して生きている香澄を思い、そして、その原因が自分の父と兄にあると聞いて、ユリは胸が締めつけられる気がした。それまで必死にこらえていた涙が、堰を切ったようにはらはらとこぼれ落ちていく。
「それは……それは判るけど……でも、そんなの——おにいちゃんのせいじゃないじゃない。おにいちゃんは、ただ、さらわれたわたしを捜そうとして——」
「せやな……ユリちゃんのいう通りや。ホンマはリョウたちが悪いんとちゃう」
 ロバートはユリの肩に手を置いた。
「——武道なんてモンをやっとる以上、誰かに負けることくらい覚悟しとかなアカンのやし、オッサンが尋常の立ち合いでリョウに負けたかて、それは単にオッサンが弱かったせいや。オッサンがリョウにリベンジしよ思て、家族を捨ててまで修行する気になって、それでガイコツみたいにやつれて戻ってきたことかて、そんなんオッサンの意志でやったことや。別にリョウやお師匠さんがやれっちゅうたワケやない」
 ロバートの言葉のひとつひとつに、ユリは何度もうなずいた。子供のようにしゃくり上げながら、Tシャツの裾で流れる涙をぬぐっても、それでも彼女の嗚咽は止まらない。
「……けど、それでもリョウは、それが自分の責任やと考えてまうようなヤツなんや。お師匠さんが本調子じゃあれへん今、自分が本気で相手をしてやらんかったらオッサンの思いの行き場所がなくなるゆうて、それでリョウはひとりで出かけてったんや。それが、極限流の看板を背負って立つ自分の役目やって、な……」
 ユリの背中をぽんと軽く叩き、ロバートは道場に入った。
 さっきまで裂帛の気合が響き渡っていたはずの道場に、今は重苦しい沈黙が降りている。正面の床の間の前には、空手着の乱れを整えたタクマが静かに正座していた。
「……あの馬鹿めが——」
 眉間に深いしわを刻み込み、タクマが呻くように呟く。それを耳にしたロバートは、大袈裟に目を丸くして聞き返した。
「あれ? 聞こえてはりました?」
「あれだけ大きな声で騒いでいれば嫌でも耳に入る」
 ロバートのかたわらにいるユリをじろりと睨み、タクマは立ち上がった。
「どないしますのん?」
「——おまえは、藤堂がどこにいるか知っているのか?」
「知りまへん。もし知っとったとしても、お師匠さんにはいわれへんですわ」
「…………」
 悪びれないロバートのセリフに、ユリに向いていたタクマの視線がロバートへ向く。いつしかタクマの身体から、陽炎のような覇気が立ち昇り始めていた。
「ここはおとなしくリョウに任せとったらエエんとちゃいまっか?」
「自分のツケを子に支払わせる親がどこにいるか。そも、リョウがかならず藤堂に勝てるとはかぎるまい」
「やっぱお師匠さんも、あのオッサンに会うたんでっか?」
「……直接顔を合わせたわけではない。だが、ヤツとは一度拳を交えた仲だ。顔を見ずとも、気配でそれと判る」
「ほな、あのオッサンの今の強さも想像がつくんとちゃいますか?」
「だからこそ、だからこそ闘ってみたいのだ。ワシにそう思わせるほどに強くなった藤堂竜白——じかにその闘いぶりを目にしたおまえになら判るだろう?」
「そらまあ……せやけど、今のワイやお師匠さんじゃ、あのオッサンの相手はキツすぎますよって。ブランクありすぎですわ」
「……いうようになったな、ロバート」
 タクマが目を細めて軽く拳を握った。ロバートに正対していた身体をやや半身にし、悠然と身構える。
「おとうさん——」
 思わず叫ぼうとしたユリを押さえ、ロバートもまた身構えた。さまざまな格闘技のエッセンスを取り入れたロバートの極限流空手は、その構えからして独特で、まるでボクシングかテコンドーのように、つねに軽快にステップを刻みながら相手の呼吸を読むというものだった。
「ここでワイにてこずるようじゃ、どのみちオッサンには勝たれへんでっしゃろ。まずはお師匠さんのお手並み、拝見させてもらいまっせ」
「……よかろう」
 タクマとロバートの間で、ふたりの放つ覇気がぶつかり合う。それに気圧されて、ユリは数歩後ずさった。
「……!」
 財団の仕事で多忙を極めるロバートに、稽古にかけられる時間はそう多くはないはずだ。そしてタクマも、昔のような過酷な稽古に打ち込み始めたのはここ数日のことである。本来なら、今のふたりに全盛期の強さはない。
 しかし、それでもユリは、自分の腕ではまだまだふたりにおよばないということを、目の前の現実として突きつけられた気がした。それは、単なる身体能力や鍛錬の量から来るものではなく、もっとメンタルな部分に根ざす強さだと思えた。

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