オリジナルサイドストーリー CLOSE
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〈4〉

 久しぶりにサウスタウンにやってきたというのに、真っ先に顔を合わせるのがユリやリョウたちではなしにこの老人だったということが、ロバート・ガルシアにとっては少しく不満であった。
 もっとも、次代のガルシア財団総帥たるべき人間としては、そんなことを顔に表すわけにはいかない。あくまでビジネスはスマートに——それが父に仕えてきた財団幹部たちからの教えであった。
 相手の勧めにしたがって飲茶の席に着いたロバートは、円卓の向こう側に座る老人を上目遣いに見やり、あたたかい烏龍茶をすすった。
「ほっほっほ……」
 猿の面をかぶった老人が、ロバートを見て小さく笑った。
「ずいぶんと忙しい身分になったようじゃが、鍛錬は欠かしていないと見える」
「それはおたがいサマやろ? もその年でようやるわ。引退して薬剤師に専念しとるゆうとったけど、どう見てもタダのジイサマやあれへんがな」
 苦笑しながら翡翠色の餃子に箸を伸ばす。極限流空手の修業時代に、なかば強制的にタクマの手打ちそばを食べさせられていたおかげで、ロバートの箸の使い方は最近の若い日本人よりよほど達者である。中華は嫌いではないし、ここで出されるものはさすがに味のほうも一流だった。
 ロバートがサウスタウンにやってきたのは、チャイナタウンのリー・パイロンとの商談のためだった。財団の製薬部門から、拳法の達人にして中国薬学の大家でもあるパイロンに、大規模な新薬開発プロジェクトのために協力を仰ぎたいとの声があがり、その交渉役として、パイロンと面識のあるロバートが選ばれたのである。
 無論そこには、ロバートに次期総帥にふさわしい実績を作らせてやりたいという父アルバートの意向もあったのだろうが、そういったことを抜きにしても、この交渉にロバートを使ったのは正解であった。財団から送り込まれてきた人間がどんなに辣腕のビジネスマンであったとしても、ロバートほどスムーズに交渉を進めることはできなかったに違いない。
 リー・パイロンという老人の心を動かすことができるのは即物的な損得勘定などではなく、目の前に立った人間が信頼できるか否かという一点にかかっている。そして、パイロンがひと通りの説明を聞いただけで「諾」とうなずいたのは、ロバートの人柄を熟知していたからにほかならない。
 実際のところ、ロバートとパイロンがこうして差し向かいで話し合うのはほとんど初めてのことだったが、にもかかわらずパイロンがロバートを信頼の置ける人間だと判断したのは——ふつうの人間には理解しがたいことかもしれないが——かつて格闘家として拳を交えたことがあるからだった。パイロンほどの達人ともなれば、相手の闘い方を見て、その人となりを理解するくらいのことはやってのけるものである。そうでなければ、この年までそのようなことをやってきた意味がない。

「ところで、近頃こっちの様子はどないなってんねやろ?」
 ロバートはふと思い出したように切り出した。
 サウスタウンでギャング同士の抗争が激化しているという話は、イタリアで父の事業の手伝いをしていたロバートの耳にも入っている。そうしたニュースを聞くたびに、サカザキ一家の——さらにいうならユリの——そばにいてやれないことを歯がゆく思ってきた。
「財団の調査部のほうで、逐一こちらの現状を調べさせていたんじゃろ?」
 自分は茶も口にせず、もっぱらロバートに料理を勧めてばかりだったパイロンが、意味ありげな口ぶりでいった。どこか飄々とした、人を食ったようなところが、この老人にはある。
「そらまあな。せやけどアレや、よそから来とる人間と長年そこに住んどる人間とでは、言葉の重みっちゅうもんがちゃうやろ? 地元の人間の口から聞きたいねん」
「一時期とくらべればましにはなった……というところかのう。少なくとも、ギャング同士の流血沙汰はずいぶんと減った。もともと我らチャイナタウンは独立独歩の立場をつらぬいておるが、安心して商売ができるようになったのは確かじゃよ」
「アルバ・メイラちゅう男が今のギャングどものボスや聞いとるけど、どないな人間や?」
「ふむ……ひと言でいうのは難しいの。ただひとつはっきりといえるのは、ギース・ハワードやデュークとはまるで違うタイプだということじゃ。ギャングというより、街の自警団のリーダーといったほうがふさわしかろうよ」
「大人はその男のことを個人的に知っとるんか?」
「まんざら知らぬ仲でもないな。あれがまだ15かそこらの頃じゃったか……前のリーダーだったフェイトという男に連れられてここへやってきて、頭のいい子供だから稽古をつけてやってほしいと頼まれたことがある」
「あんさんらは特定のギャングとはつるまんのやろ?」
 ロバートが切り返すと、珍しくパイロンが苦笑した。
「そこがフェイトという男の不思議なところなのじゃよ。あの男に頼まれると、どうにも断りづらい。あの時は、まさかアルバがフェイトの跡を継ぐとは思わなんだし、だからワシも、勝手にここへ来て勝手に見ていくぶんにはかまわんと、そういってやったのさ。ほかの長老たちも反対はせなんだしのう」
「大人の弟子ちゅうわけやないんか?」
「あれに師匠などおらんて。毎日ただここへ来て、ほかの子供たちが稽古しているのを見ておっただけじゃよ。じゃが、頭がいいというか呑み込みが早いというか、真に肝要なところだけを見よう見まねで学んでいったようじゃ。おいしいところだけをつまみ食いするようにな。——もっとも、シャンフェイだけはずいぶんとあれに入れ込んで、頼まれもしないのにあれこれ教えていたようじゃが」
 そう語るパイロンの顔は、おそらく仮面の下で、おだやかな笑みに崩れていることだろう。それはまるで、孫の成長を喜ぶ老人のようだった。

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